Talk.2 – 奥山輝大 准教授
“自分とは”という魔境に科学で切り込む
~ひとつの謎が解けると次の謎が浮かぶ~
恋とはどんなものかしら。オペラ『フィガロの結婚』でも歌われてきたその疑問に神経科学で答えようとしているのが定量生命科学研究所の奥山輝大准教授だ。どのような相手との恋愛が成就しやすいのかという疑問から始まった研究は、他者とは何か、自分とは何かと新しい疑問を生み出し続けている。
行動神経科学研究分野 准教授 奥山 輝大
2011年に東京大学大学院理学系研究科で学位取得後、東京大学大学院、マサチューセッツ工科大学を経て2017年に東京大学分子細胞生物学研究所に准教授として着任。2018年より定量生命科学研究所准教授。専門は行動神経科学、神経生理学。
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キャッチーな言い方をすると、初めは神経科学で恋愛を解き明かそうというところから、僕の研究者人生がスタートしました。いずれは人の恋愛感情を少しは制御できるようになったら面白いな、と思っています。
最初、観察対象はメダカでした。メダカのメスは、初対面のオスと、面識があるよく知っているオス、どちらの求愛を受け入れやすいのか。こうした観察ができたのは、所属していた研究室が自由だったからですが、観察の結果、面識のあるオスだとわかりました。でも、これだけではなぜ、メスは面識のあるオスの求愛を受け入れやすいのかまでは分かりません。そこで、神経細胞も観察の対象に加えたところ、求愛を受け入れるときに入るスイッチのような細胞があることが分かりました。ひとつのことが分かると、またクエスチョンが沸いてきます。ではメスのメダカは、どうやって会ったことのあるオスのことを覚えているんだろう。
ここで、観察対象をマウスに変えました。メダカの脳には、海馬というヒトやマウスの脳にはある特徴的な記憶中枢領域がないので、調べるのが難しいだろうと思ったからです。
マウスでの実験で分かったことは、記憶中枢回路のある海馬の“腹側のニューロン”が相手の記憶に関わっていそうだということです。海馬はバナナのような形をしているのですが、その“背中側のニューロン”で空間や時間の情報を記憶していそうだということは分かっていました。それに対して、相手に関する記憶は腹側が関係していそうで、回路全体で「いつどこで誰とどうした」といったタイプの記憶を持っているのだろうと分かったのです。さらに、腹側の細胞を観察したり操作したりした結果、ニューロンの組み合わせで、誰かのことを覚えていそうだと分かりました。
ただ、空間の情報も場所の情報も、そして、誰という情報も複雑な要素で、それらがどうやって組み合わさることで「いつどこで誰とどうした」かを覚えているのかは、まだ分かっていません。これが、これからやらなくてはならない仕事のひとつだと思っています。
恋愛は中毒症状であることを証明したい
恋愛とは何かという疑問には、様々な学問が答えを見出そうとしてきました。哲学などはその代表的な存在です。では、神経科学的に恋愛に迫ることの特徴は何かというと、神経細胞の動きを直接、観察できること、操作もできることです。その結果、哲学や心理学で言われていたこの概念は、このニューロンの動きに対応していたんだね、と結論づけられることもあります。
たとえば、恋愛と好きの違いは何か。恋愛をするあるいは何かの熱狂的なファンになるというのは、単純な好きとは異なる、特殊な状況だと考えています。
すでに、恋愛感情を抱いているとき、オキシトシンという脳内ペプチドを作るニューロンが活動しやすくなっていることは分かっています。オキシトシンの分泌が減っていくと、他者とのつながりが薄れることも分かっています。このオキシトシンニューロンは、報酬や快楽に関わるドーパミンニューロンが数多く存在する腹側被蓋野という脳領域の活動に強く影響を与えています。
また、脳の側坐核という領域に注目した中毒に関する研究も多く進められています。腹側被蓋野のドーパミンニューロンは、そこから側坐核に神経投射を延ばしています。非常に簡単に言うと、そのドーパミンが関わる神経回路を過剰に興奮させやすくするのがヘロインやコカインといった薬物で中毒を引き起こします。
側坐核に対しては、海馬の腹側にある他者の記憶を担う細胞もダイレクトに投射しています。ですから、オキシトシン分泌の情報と他者の記憶の情報の両方が、中毒や報酬に関わる脳領域に伝達されているという格好ですが、この側坐核で何かが起こり、報酬系サーキットがオーバードライブすることで、他者を単に知っている/知らない。好き/嫌いではなく、恋愛対象と見なす中毒のフェイズに移るのではないかなと想像しています。
恋愛は好きが行き過ぎた中毒症状であることを、どうにか証明できれば面白いなと思っています。
他者を理解すると自分を理解できる
こうしたことも、神経細胞を観察したり操作したりすることで、解明できます。神経細胞の操作に関しては、ここ15年ほどで光遺伝学の技術が進歩したため、できることが非常に増えました。神経細胞は、一定量の電気的刺激を受けると活動するのですが、光遺伝学では、まず狙った神経細胞だけに、光の情報を電気の情報に変換できるようなタンパク質を発現させ、その脳領域に光を当てることで、もともと狙っていた細胞だけを活動させることができます。
DNAが二重らせん構造であることをみつけたクリックは、いずれは光を使わないと脳の活動を解き明かすことはできないだろうと予言していましたが、その通りになっています。
他者についての研究が進むということは、自分についての研究が進むということでもあります。日頃、僕らは自分の情報と他者の情報を、あるタイミングでは同じくして、あるタイミングでは切り分けています。前者の例は感情移入です。他者の不幸を見て涙するときには、他者の情報が自分の情報の中に混じっていると言えます。しかし、他者の言動に対して「何、バカなこと言ってるの!」と感じて、明確に他者と自分を切り分けている時もあります。自己(Self)と他者(Other)とは何かというクエスチョンにも、神経科学から迫りたい。これが今、研究室で取り組んでいる課題のひとつです。
自己(Self)はコンシャスネスと表現されることもあります。先ほどクリックの話をしましたが、その相棒のワトソンは「コンシャスネスの研究をしはじめたら、研究者として終わり」というようなことを言っています。その理由は「解けないから」。神経科学の中でもフロンティアであり魔境なのがこの分野なのです。ただ、クリックは晩年その魔境に乗り出していきます。それくらい難解だけれど魅力的なのが、コンシャスネス、自己(Self)です。僕たちはその魅力的で難解な問題に、他者との関係性からアプローチしていこうとしています。
ですから、研究の対象はもちろん恋愛だけではありません。社会を形作るための神経科学全般です。自己(Self)と他者(Other)のほかには、誰という記憶はどのように頭に刻み込まれているのかという社会性記憶のメカニズムの解明、それから、その誰という記憶が弱いことで社会性行動を取れない病態である自閉スペクトラムと、社会性の関係の解明もテーマです。
それでも、僕の研究が進むと、もしかしたら恋愛感情を制御できるようになるかもしれないという言い方をすると、高校生がとても興味を持ってくれます。
学生時代8年間、塾の講師をしていました。その中で、どのように話すと高校生が興味を持って積極的に耳を傾けてくれるのかを学びましたが、高校生にとっては、勉強よりも恋愛の方が大きなトピックなんですよね。
誰かのことを好きという、本人の意思とは無関係に表れる感情を理解したいという気持ちは、根源的なものなのでしょう。
それは、遺伝子によって決まっているのか、それともニューロンの働きによって決まるのか。恋愛感情がどのような仕組みで生み出されているのかも、きっといつかは紐解けるはずだ。そういう話をすると、高校生も興味を持って聞いてくれます。
興味を持つと、とたんにいろいろなクエスチョンが生まれます。「恋愛感情を制御できたとして、人生は楽しい?」「それをやってもいいの?」といったものもそうです。僕は、まずは研究に興味を持つことが、そこで求められる倫理を考える入り口になると思っています。
研究の醍醐味は一番乗りにある
父は胃がんの研究をしていた医師で、母は英文学の研究者です。夫婦喧嘩の時も、父が「文学の研究にどんな意味があるのか」と喧嘩を売り、母が「文学の研究がなくなったら人類は廃るのよ!」とその喧嘩を買うという、とても不思議な家庭に育ちました。神経科学に関心を持ったのは、高校生2年生の時です。通っていた学校では、教科書の生物の内容は中学校のうちに終わらせてしまい、高1からは分子生物学を教えていました。高2の教科書はCellです。高2の時は、これをずっと読んでいました。あまり熱心に読んでいたせいか、先生が最後には、自費で買ってプレゼントまでしてくれたほどです。こんな世界があるのかと、オタク心を満たすのにたまらないんです。そのときのことが、今も響いているのだと思います。この先生に出会っていなかったら、研究者にはなっていなかったでしょう。
一番はじめに知ることができる。これが、研究の面白さだと思います。研究者にもいろいろな人がいます。様々な分野の最先端を知りたいという人もいますし、僕のように、自分の興味のあるところだけに深く深く潜っていくのが好きという人もいます。どちらがいいか悪いかということではなくて、僕は単に自分の興味の赴くままに、1つのことにパッションを燃やし続けるタイプなんだと思います。いろいろなことに興味を持てれば、それはそれで日々の生活で様々な幸せを得られてQOLが高くなったりするのかなとも思いますが、僕の場合は、不思議に感じることをオタク心でひたすら突き詰めているときが一番幸せです。そこで何かひとつを理解すると、次のことが知りたくなる。その繰り返しです。
取材日:2020年12月23日
取材・文:片瀬 京子
写真:田辺 隆三