Talk.3 – 胡桃坂 仁志 教授

全ゲノムを解析した後に残された謎に挑む

~それがなぜだったのかが、一気にわかる日が来る

DNAという同じ設計図を持っているはずなのに、なぜ多細胞生物は、分裂・分化して様々な細胞や組織をつくりだせるのか。受精卵の塊にならないのか。その謎に迫ろうとしているのが胡桃坂仁志教授だ。学生時代はミュージシャンを目指していたという、徹底して観測を重ねる研究者は、壁は乗り越えずに回避するものだという持論を持っている。

クロマチン構造機能研究分野 教授 胡桃坂 仁志

1995年に埼玉大学大学院理工学研究科で学位取得後、理化学研究所、米国国立衛生研究所、理化学研究所、早稲田大学を経て2018年に東京大学定量生命科学研究所に教授として着任し、現在に至る。専門はクロマチン、構造生物学、生化学、分子生物学。


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 研究分野はエピジェネティクスですが、1990年代にはこの言葉はほとんど知られていませんでした。

 博士号を取得してすぐの1995年にアメリカへ行きました。今も続けているクロマチンの研究をしたかったからです。大学院の頃はバクテリアの研究をしていましたが、ヒトの理解につながるような真核生物を研究したいと考え、クロマチンに注目しました。

 そうして米国立衛生研究所(NIH)のアラン・ウルフの研究室へ行ってみたら、そこが、エピジェネティクスの第1次ルネッサンス期のど真ん中でした。現在隣のラボの小林さん(小林武彦教授)が、偶然にも同じビルの別の研究室にいました。

 エピジェネティクスとは、遺伝子の機能を制御する仕組みです。遺伝物質がDNAであることは1940-50年代に提唱されていて、多くの科学者はそれに賛同しました。しかし、多細胞生物ではなぜ、もともとは1つの細胞から分裂・分化を繰り返し、その結果、いろいろな臓器ができるのかは、長い間、説明できませんでした。細胞はいろいろな臓器になる可能性を持っていて、その中から何をスイッチにして皮膚になったり心臓になったり眼になったりするのかがわかっていなかったのです。わからなすぎたと言っていいでしょう。

 アラン・ウルフはそのスイッチはDNAの折り畳まれ方、言い換えるとクロマチン構造が決めるのではないか、それこそがエピジェネティクスの根幹ではないかと考え、それを証明しようとする実験を精力的に行っていました。とんでもないところに来ちゃったなと思いました。僕は競争が好きじゃないから、落ち着いて研究できる分野がいいと思ってクロマチンを選んだはずなのに。

留学中にクロマチンへの注目度が急上昇

 滞在中、ロチェスター大学にいたデビッド・アリスによって、ヒストン、これはクロマチンの基本単位であるヌクレオソームの構成タンパクですが、これをアセチル化する酵素がみつかり、また、ジョン・ガードンがその当時から遡ること30年前に、カエルの核移植の実験から、塩基配列以外で臓器に分化するメカニズムが決定されていることを明らかにしていました。それまでは、皮膚になる細胞は皮膚になるのに必要な遺伝子以外は捨てるという説もあったのですが、それがここで否定されたことになります。両生類だけではないかという指摘も、1997年にイギリスのイアン・ウィルマットのグループが、ジョン・ガードンと同じ手法でクローン羊のドリーをつくったことで否定され、これでいよいよ、哺乳類でもクロマチンが鍵を握っていることがわかりました。

 その1997年に僕は日本に戻り、理化学研究所に所属し、新設されたゲノム科学総合研究センターでタンパク質のチームに入り、DNAの修復に関する研究と、クロマチンの研究に着手しました。当時の論文は、ほとんどDNA修復に関するものです。その後、2003年に早稲田大学に移って自分の研究室を持って、主軸をクロマチンに移しました。クロマチンに関する最初の論文を出したのは2008年だから、5年かかってます。普通、5年も論文が出なかったら研究室はつぶれます。でもDNA修復の研究がうまくいっていたので、それで食いつなぎながらクロマチンの研究もできました。

 2つの研究を融合しつつ、研究対象をクロマチンによる遺伝子機能の制御に拡張したのは、2016、17年頃です。今も、クロマチンがどのように折り畳まれているとオンなのかオフなのかはわかっていません。

 かつてはX線結晶構造解析を、今はクライオ電子顕微鏡解析を主要な解析法としてクロマチンの折り畳まれ方を観測し続けていますが、今のところ、みつかるものの多くは同じ折り畳まれ方で、世界で一番、同じ構造を決め続けている研究室だと、自虐的に、思っています。

“新事実の発見”はたいていの人ができない

 クロマチン構造にスイッチを見出そうとしている研究室は、海外にもいくつかあります。彼らと僕らの間には、一時期、大きな差がつきそうになりました。結晶構造解析が主力の頃はよかったのです。日本にはSPring-8とPhoton Factoryという大きな放射光施設が2つあり、それを比較的、自由に使えていました。ところが、技術が進み、クライオ電顕の時代に入っても、僕らにはそれがありませんでした。ただ運良く、当時OISTにいた滝沢君(滝沢由政准教授)のつてで沖縄科学技術大学院大学(OIST)のものを使わせてもらえて、世界の流れに遅れることなく、なんとか結果を出すことができました。

 ここへ移ってきてからは、クライオ電顕は医学部に導入されましたが、当初は使用できる時間が限られていました。ちょうど、鯨井君(鯨井智也助教)の研究が軌道に乗り始めていた時期で、共同研究先でもあった理研(横浜)の装置を使わせてもらったところ、DNAからRNAに転写する酵素・RNAポリメラーゼIIが、ヒストンに巻きついたDNAを段階的にほどきながら情報を読み取っている様子を撮影できました。この成果を2018年、2019年と続けて『Science』で発表し、それが大きな助けとなって、科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業ERATOプログラムに採択され、この定量研に電顕装置を導入することができました。

 RNAポリメラーゼIIがヌクレオソームに巻き取られたDNAを読み取る様子を撮影したことについては、「そんなことができたのか」と驚かれましたし、嬉しくはあります。ただ、それまでの多くの研究から推測される内容で、誰も想像もしなかったようなことを見つけたわけではありませんでした。

 誰も思いつかないよう新事実の発見は、天才の仕事です。「若者よ、できるならやりなさい」と思います。でも、たいていの人はできないんです。できないならどうするかというと、できることをやる。高い壁は登らない。壁があるなら、割れているところや抜け道、トンネルを掘れるくらい土が軟らかいところを探す。そうしていると壁を回避できて、意外と、思っていたよりは面白いことがわかる。僕はそれを繰り返しているような気がします。

 自分の本当の能力をしげしげと眺めると、残念な気持ちにしかなりません。僕はペシミストで、論文を出すにしても、本当にこのデータは大丈夫かと何度も確認しますし、いろいろな人にも意見を聞きます。でも、あまりネガティブに考えすぎても全く良いことは起こりませんので、無理矢理にでも気分を前向きに持っていくことが重要と思っています。

 研究室でも、暗い顔をしている学生のことは気になります。そういった学生には、努力しなさいとか頑張りなさいとは言いません。「ハッピー指数を上げよう」と言います。「今が50%なんだったらあと20ポイント上げて」と。本人が「今、上がりました」と言えばそれだけで上がりますから。

続けていれば成功を手に入れられる

 楽しくない研究からいい結果は生まれません。楽しくなければもう二度とやりたくないと思うからです。楽しければ続けられるから、いい結果が出ることもあります。私の研究室のように同じことばかりを繰り返してみつけていても、続けていればいつか大きな発見があり、その発見によって、なぜそれまで同じことしかみつからなかったのかが一気に分かる日が来ると考えています。

 修士課程の頃までミュージシャンを目指していた僕が研究の面白さを知ったのは、博士課程の時です。理研にいらした柴田武彦先生のところでお世話になっていましたが、めっちゃ楽しかったんですよ。ちょっと結果が出て柴田先生の所へ持っていくと「面白いものを見つけましたね」と、とても喜んでくれて、それで研究をやろうと思ったんです。アメリカから戻ってきたときにはその柴田先生に理研に推薦してもらい、そこで今の定量研所長の白髭さん(白髭克彦教授)にも出会い、今があるのは、本当に多くのみなさんのおかげです。

 研究者として成功するかどうかは、研究者であることを辞めずにいられるかにかかっています。今はなかなか雇用がないという大きな問題はありますが、国内で雇用がなければ、海外の景気のいい国へ行ってつなぐことはできるわけですから、そういう意味では、やりたいと思っていればずっとできます。だから、続けるためにも楽しくなければならないんですけれど。

 もちろん、僕だって研究者としてやっていけるのか不安なことはありました。今もってなお、不安です。でも不安に思っていても始まらないから、なるべくハッピー指数を上げようとしているんです。そうしながら、どうやってクロマチンが遺伝子をオンにしたりオフにしたりしているのかを見たいと思っています。

取材日:2021年1月20日

取材・文:片瀬 京子
写真:田辺 隆三

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